自己満の味噌煮

小説書く。難しい。

神の苦悩

「神は夢を見ないと言います」

「そうだね」

項垂れたまま真っ白な椅子に座る新人に、紅茶を注いだカップを差し出しながら答える。

普段は天界での作業の担当じゃない私が何故此処にいるか。それは、この子が理由だった。第二の感情神であり、特に新人である彼はとても影響を受けやすい。しかしベテランである蝉尽火と気が合うのもあって、今までは上手くやっていたそうだ。それがいきなり、こんな風になってしまったらしい。体を上手く休めることも出来ず、頭を押さえては仕事をしていることが目立つ。神の中での精神治療みたいなのは何時の間にやら私の仕事になっており、今回もそれを見かねたヘルプからの命だった。

「その質問の意図が分からないが。何か変わったこととかあれば言ってご覧。若しくは、辛いことや解決したいこと」

未だ私は後ろを向いたままだが、彼に対してそう問いかける。信用出来ぬ奴になんか話せるか、と言う奴も居れば知らない奴だからこそ話せる奴もいる。最初の問題はそこだが、さて彼はどうだろう。

彼の言葉を待っていると、頭を垂れたままの彼がゆっくりと口を開いた。

……夢じゃないけど、幻覚を見ます」

「幻覚を?」

……ええ。誰かが目の前で叫んでいる幻覚を。もしかしたらそれはもう夢なのかもしれない、ですが」

その言葉に少しだけ私も考え込んだ。この国の、この世界一帯を支配する神々は全てが全て生まれついてではない。捨てられたもの、社会から葬り去られたものを再利用する場合もある。檜はその『人生の途中から神になったもの』の一人であり、その場合は夢を見ることも有りうるのだ。もしや、彼の見ているものは本当に夢である可能性もあった。考えが巡る中、彼は話を続けてくれる。

……ふと、すると……誰かの手足を千切ってるんです。相手は泣き叫んでいるのに、それが……寧ろ、嬉しくて、興奮して、愛おしくまでなって」

彼の口は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。最初こそ無気力な声だったが、それは徐々に熱を帯びたように高まっていく。その声は後悔や罪悪感を孕んでいるのに、明確に昂りを感じさせる声だ。

……噛みついたりしようとすると、消えてしまう。幻覚にしては、長くて、リアルで……やっぱり可笑しいですね、ごめんなさい」

恍惚としていた声色は、一瞬にして正気を取り戻したかのように冷めきった。しかし其処に確かに熱情はあり、きっと彼は確実に人間らしい激情を抱いていた。

ディオニュソスさん」

「なんだい、檜くん」

「俺は何を見てるのでしょう」

「全部視てると思うよ」

温かい紅茶が私の冷えきった身体を内側から温めていく。これを飲むといつも瞼の裏には海が綺麗なあの国が浮かぶのだ。そして私の頭はカチリ、と音を立てる。今になっては酷く古臭い歯車式の機械を動かすように、私の古ぼけた頭は思考を巡らせる。

彼が見ているのは元は“現実”、次に“悪夢”で、今は最早“幻惑”なのだ。彼の話すことは妙に現実味があり、ただの夢と言うよりはきっと後ろめたい現実が襲ってきた姿だ。彼は思っていたより抱え込んでいて、今にも壊れそうだったのだ。

「まぁ、取り敢えず気にせず眠れるようにしようか。そういう環境を作って蝉くんに面倒見お願いしよう」

心の問題は人間も神も変わらず、他人がどうしようが本人の問題だ。此方としては、兎に角精神的に安らぎ今より頭が働く環境を作ってあげる他ない。

だからこそ彼に提案しつつ、独り言のように私は呟いていたがその途端に彼は目の色を変える。

「蝉尽火さんに迷惑はかけられないんですけど……

「ならヘルプにでもするかい?」

……えっと」

彼はその名前を聞けば、ぎこちなく口角を上げていた。




「それで一応、固有空間の把握をして疲れが効率的に取れるように変えてみた。これでダメなら、また話を聞くことにするよ」

「ああ。礼を言う、ディオニュソス

新しいカップに注がれた紅茶とは真逆に冷たく、これっぽっちも感謝なんて感じないような声色で言うヘルプを眺める。

話を聞いた後だと私の中の気持ちもひっくり返されてしまっていた。彼は“苦しむ部下を見かねて精神分析を勧めた上司”ではなく、“無理難題を押し付けた末に病んだ部下を他に押し付けた上司”だったのだから。しかし彼はそれを私が見透かさないだなんては思っていないだろう、これだけ長い付き合いでお互いの事は理解しているつもりだ。それでも檜くんに私の診察を勧めたのはやはり、部下に潰れてもらっては困るという話なのだろうか?

「彼がやった仕事っていうのはさ、必要だったことなのか?」

このまま黙っていても良かったのかもしれないが、つい口を開いてはそんな質問が溢れた。ヘルプは表情を変えず、紅茶を一口味わってから落ち着いた様子で答える。

「我々にはあまりにも業務に影響を及ぼす奴等は除外する義務もある。彼奴はそれに含まれていただけだ」

「ならなんで、彼は殺さずに手足だけを取ってきた?急所を突けば良いじゃないか」

……はは」

彼の笑いに、意識せずとも目が見開いてしまった。

そんな自分を落ち着けようとして紅茶に口をつける私とは逆に、ヘルプは嘲笑するような表情を浮かべている。

そして彼はこう言ったのだ。

「さぁ?情が移ったか痛ぶるのが楽しくなったかしたんじゃないのか?其処に俺の命令は関係ない」

そんなことを言う彼の目は醜く淀んでいて、真偽はその色を見れば単純明快だった筈なのに。どうして彼はそんなことを言ったのかは分からないまま、私は甘い紅茶を啜る。

「さて、話は終わりだ。俺は戻るとする」

「は?まだ終わってないぞヘルプ。ちょっと待てよ」

彼は私の引き留めに反応せず、すぐに立ち上がれば私の固有空間から姿を消す。前からあんな奴だっただろうか、と私は頭を悩ませるしかなくなってしまった。

しかし今考えても、結局答えは何も出てこないだろう。途中で考えるのを止めれば、私は勝手に出てきた溜め息にまた困惑しながらもカップの片付けをする。


不注意で一つ壊してしまったが、きっと何でもないさ。